ゲーム分析

 

◆ 自分の不愉快なクセに気づこう

 

 自分の自我状態の特徴も含めて我が身を振り返ってみてください。

 人との関係を良好なものにするには、まず自分の「こころのクセ」を知らなくてはいけません。「個性」というのは、言い換えれば、「自分のクセ」です。「自分のクセ」に気がつかないまま、トラブルの渦から抜けることができなかったり、気がついたら相手が去っていたなどということは、多々あります。

 

 大切なのは、「自分のクセ」に気づくことです。これが自分の「潜在部分」を「顕在化」するということにつながります。

 

 私たちは、他人のことはとてもよく見えていても、自分のことに関しては、どうしても無知なことが多いものです。まず、自分が無知であることに気づき、知ろうとすることが大切なのです。

自分が無知であることにさえ気づいていない人が、自他共に不幸を引き寄せてしまうことが最も悲しいパターンです。

 

◆ なぜかやってしまう「ゲーム」という悪習慣

 

 ここでさらに、自分でも気づきにくい「こころのクセ」を学んでいただこうと思います。

 この「ゲーム分析」を知ることは、重要な意味があります。

 ゲームは、やろうと思っているわけではないのに、無意識に始めたり、巻き込まれたりしてしまうものです。そして最終的にマイナスのストロークを得るよう(不快)になっている、習慣化された交流です。

 これは、不快で意味のない交流であるにもかかわらず、ゲームという概念を知らなければ、その正体がわからないまま繰り返してしまう、恐ろしい魔力を持った仕組みでもあります。

 

日常に繰り広げられるゲームとは?

 

仕掛ける側=仕掛け人(Aさん)

仕掛けられる側=カモ(Bさん)

 

【例 1】『はい、ゲーム』

 

「何だか最近体がだるくって~」

「大変ね~ 病院いってみたら?」

「でも、病院いくってほどでもないんだよね~」

「そうなの~、じゃーまぁーそのうち治るでしょ」

「う~ん、でも何か不安なんだよね~」

「ねぇ~そんなに不安だったら、私の知り合いに医者がいるから紹介してあげよっか?」

「でも、この程度でわざわざ紹介してもらうのも~」

「だけど毎日、不安な気持ちで過ごすの嫌でしょ」

「そうねぇ~でも不安って言っても、いつもじゃなくて忘れてる時もあるし~ただぁ~、あ~もしかして病気じゃないかなぁ~って時々気になるの」

「だーから、一度見てもらえばスッキリするでしょ」

「う~ん、そうなんだけど~、でもさぁ~病院てさぁ~行ったらすぐ薬くれるじゃない、あれが嫌なんだよねぇ~」

「そりゃ病院なんだから薬でるわよ!」

「なぁ~んでそんなに怒るの?私は不安でしょうがないのに」

 

2人の間には険悪なムードが流れる

 

【例 2】『キックミーゲーム』

 

「ねぇ~、今日の夕飯どう?」

「美味しいよ」

「本当に美味しいと思ってる?」

「思ってるよ。この肉じゃがなんか味が良くしみてるし」

「新聞見ながら味なんてわかるわけないじゃない!」

「新聞見ながらでも味はわかるよ。本当に美味しいよ。」

「その肉じゃがは、お惣菜で買ってきたものなのよ!やっぱり、どうでもいんでしょ!」

「そんなことないよ。」

「結局、私が作ってる料理なんて何の興味ももってないんでしょ?」

「お惣菜だって、わからなかっただけでしょ」

「それって、普段から私の料理を適当に口に入れてるだけって

証拠じゃない!」

「そーじゃないよ!」

「結局、私のことなんて、どうでもいんだから!」

「いい加減にしろよ!」

 

2人の間には険悪なムードが流れる

 

いかがでしたか?

みなさんは、こんなやり取りを体験したことがありませんか?

最初の例1は『はい、でもゲーム』といいます。

ゲームですから、仕掛ける側Aさんと仕掛けられる側カモのBさんがいるわけです。AさんはBさんがどんなに相補的交流(スムーズな交流)で接してきても「はい~」といいながら本音は「でも~」と相反しています。

 

 つまり、全体として裏面的交流(本音は言葉に出さない部分に隠されている裏のある交流)が行われているので、一見スムーズな交流で穏やかな空気が流れているかのように見えても、最後にはBさんがAさんとの交流のずれや、不快感の限界を感じ、交差的交流(行き違いやチグハグな交流)の引き金を引かざるをえないような状況に追い込まれてしまうわけです。

 

 混乱のうちに、このゲームが終わります。

 結果、Aさんはゲームの報酬として予想どおり、カモであるBさんからマイナスストロークを得ることになります。

 

      (マイナスストローク)

          ↓

        (不快感情)

    怒り・イライラ・自己嫌悪・後悔

    罪悪感・孤独感・憂鬱・虚無感

 

 その次の例2は、『キックミーゲーム』といい、最後には相手を怒らせ自分が蹴られるような状態を結末に持ってくるというゲームです。

 どちらも、さいごに嫌な感情が残るものです。

 

 どうですか?みなさんはこんなゲームを仕掛けたり、或は仕掛けられたりしていませんか。本音が微妙に隠れているような嫌な喧嘩や口論になるときは、たいていゲームと言ってもいいでしょう。軽いやり取りで流せるものならいんですが、必要に続くようなものであれば、それがゲームであることを、まずは認識することが必要になります。 

 

 

◆ あなたのゲームは?

 

 あなたがゲームを仕掛ける側である場合もあるでしょうし、カモにされているときもあるでしょう。自身の日常のコミュニケーションを振り返り、自分がゲームを仕掛けたり、巻き込まれたりしていないか振り返ってください。大なり小なり、誰でも経験のあることです。

 

 お母さんならお子さんとの関係でどうですか?職場の部下や上司、仲間の間ではどうですか?夫婦や恋人間ではいかがでしょう。ある特定のタイプの人が現れると繰り返しているパターンがあるということもよくあります。

 大切なのは、その構造に気づくことです。

 

◆ ゲームの目的と終わらせ方


 人は、なぜ、こんなゲームをやってしまうのでしょうか。前述に記したゲームの目的をまとめると以下の通りになります。

 

1. ストロークを得るため

 

2. 時間の構造化(暇つぶし)

 

3. ラケット感情を味わうため(自然な感情が禁止されたり、抑圧されることで、生まれる代わりの感情)

 

4. 基本的構えを確認するため(自然な感情)

 

 ゲームは、カモがいて初めて成立します。

 カモにならなければ、ゲームは存在し得ないのです。

 

 ではゲームを仕掛けられた場合どうすればよいのでしょうか?

 

① まずは、ゲームに気づくこと

② 最初の「ワナ(エサ)」に飛びつかないこと

③ 途中でゲームに気づいたら、感情の渦に巻き込まれないように自我状態のAで対応する

④ 自我状態のAを利用して肯定的な結末に持っていく

⑤ 自我状態のFCやAを利用して、否定的な結末に浸らない

⑥ ゲームから離れる


 また、自分がゲームを仕掛けてしまう場合はどうすればよいのでしょうか?

 

① 自分のラケットに気づく

 基本的構えが出来た環境を見直す

 (親がよく取っていた感情パターンに気づく)

 (ある特定の感情、状態のときに親からストロークが与えられていなかったか気づく)

 (ホンモノの感情と思っているものがニセモノではないか検討する)

② ラケットを捨てる

 (FCを活用して、楽しいことをイメージする)

 (Aを活用して、自律訓練法などでリラックスする)


 ゲームの構造を理解していると、だいたいゲームの途中からゲームに巻き込まれそうだなという、パターンがわかってきます。

こちらも感情的に反応すると、まさにカモになってしまい仕掛け人の思うつぼです。ですから、冷静沈着な「A」で対応するのです。

 

 しかし、仕掛け人も勝つ気でゲームを仕掛けるわけですから、その引力は並大抵の力ではありません。まして、相手が獲得しようとしているものは、長年馴染んできた愛着のある感情なので、その執着心は強力です。普通に過ごしていれば、簡単にマイナスのスパイラルに巻き込まれていきます。ですから、ゲームを断ち切るには、まず自分の中に相当の意志が必要になるということを先に申し上げておきます。

 

 さらに、執拗にやめようとしなかったり、危険をはらむようなゲームの場合は、その場から離れることです。つまり、物理的にゲームを放棄するのです。

 何よりも、自分自身がラケット感情を持って、その感情を繰り返し味わおうとしていないかをチェックする必要があります。

 

 そのためにも、あなた自身の過去を振り返ったり、親や身近な大人と繰り返し交わしたやりとりや、慣れ親しんだ態度や雰囲気を思い出し、自分自身の基本的構えを自覚する必要があります。

 

 それが、幼少期に触れた重要な大人とのかかわりの中に関連した感情ではないか、ゆっくり振り返ってみる必要があります。

 まずは、「気づく」ことから、全ては始まります。