正常とはなんだろう?(こころ医者講座)

 

《こころ医者》をしていると、一般の人から、「私は正常ですか?」

 という質問を、よく受けます。もちろんこの人は、自分は正常だと思っていて、ただ聞いてみただけです。精神科医は人間が正常かどうかを断定する商売だと思っていて、ぼくが精神科医だというので、挨拶代わりに、ちょっと聞いてみたのでしょう。

 

 しかし、聞かれた以上は答えねばなりません。ところが、これがなかなか難しいのです。といっても、答えが難しいのではなく、答に対する反応を考えると、どう答えるかが、難しいのです。

 

 ぼくは、人間は、だれでも時々異常になるし、また、どこか異常なところがあると思っているので、一応、答は「あなたも異常ですよ」です。「もちろん、ぼくも異常ですがね」と付け加えるのですが、あとの方はなぜか耳に入らない。

 

 でも、正直に答えると、相手はいやあな顔をします。「精神科医は人を見ると、みな病人にしてしまう」といやみをいいます。いやな顔ですめばいい方で、カンカンに怒り出す人も珍しくありません。異常→精神異常→精神病者と瞬時に考えるのでしょう。

 

 もちろん、怒るのは向こうの勝手、と割り切っていてもいいのですが、面倒は嫌なので、通常は「あなたは『正常』です」と答えます。聞いた相手は、ほっとしたようですが、ちっともほっとするようなことではないのです。

 

 「正常」とは「健康」といわれているようなものです。健康だと言われても喜んではいけません。今は病気ではないというだけで、決して、これからずっと病気にならないという保証ではありません。明日病気になるかも知れません。

 でも残念ながら、明日病気になる可能性があると後から付け加えた部分は全然耳に入らないようですね。

 

 ついこないだも、ぼくより十歳若い友人が、突然死しました。区の検診で、どこも悪いところがないといわれたばかりでした。「肉体年齢も実年齢より十歳は若い」といわれたと喜んでメールをくれましたが、その三日後に、突然亡くなったのです。奥さんから、彼が死んだという報せを受けて、ぼくはしばらく信じられませんでした。メールには、定期検診でお墨付きをもらったので、メールをくれた前日に、奥さんと袋田の滝までハイキングに出かけ、二十キロは歩いたと書かれていました。

 

 おそらく、病気はあった。それも死に結びつくような。でも、それが簡単な定期検診では見つからなかったのでしょう。お墨付きなど出さねばよかったと、急死の報告を受けた検診を担当した医者は思っているでしょう。

 

 別の例です。もう十五年以上前になりますが、ぼくは義兄に頼まれて、日本で一番とか二番とかいわれている、評判の高い心臓専門病院を紹介しました。義兄は、病院ではとても詳しく検査してくれた、詳しい分、結果が分かるまでに時間がかかる。結果を十日後に聞きに行く、と満足そうに電話をかけてきました。

 

 しかし、電話をくれた五日後に、急死してしまいました。ぼくは、即刻その専門病院に電話をかけ、診察した主治医に、検査の結果はどうだったのだと、尋ねました。彼は、まだ全部見終わっていないといい、急いで検査結果を調べてくれましたが、「検査のうえでは、心臓はどこも悪くなかった」といいました。同時に心臓だけしか調べなかったことを告白しました。

 

 死因は、おそらく心臓以外にあったのでしょう。ぼくは大動脈瘤の破裂を疑っています。日本でも評判の高い専門病院が検査をして「異常なし」でも、それは部分的には「異常なし」ということです。安心できることではありません。結果を聞きに行っても、どこも悪くありませんよ、といわれて帰されていたかもしれません。たしかに、こんなことは起こらない方がいいでしょう。

 

 でも、医者のぼくには難しさが分かります。医者の《大丈夫ですよ》は決して百パーセント大丈夫ではないのです。

 「健康だ」と太鼓判を押すことが、いかに難しいかが分かってもらえたらと思います。正常であるといいきることの難しさも同じです。

 

《こころ医者》としては、「正常」とはいえないといわれて、すぐに怒り出すような人を、とうてい正常だとは、思いません。

 自分は「正常」かどうか診てくれといった人は、正常であることにこだわっている人です。こだわっている人は、「異常」だとされる人に偏見を持っています。偏見を持つ人を「正常」とは呼べません。ゴチャゴチャしてますが、分かりますか。

 

 正常でないといわれて怒り出した人に、では「正常」とはどういうものだと思いますか、と質問すると、たいていは黙ってしまいます。「おや、考えたことはないのですか」とビックリした顔をすると、「それはあなたのような専門家が決めることでしょう」と不満そうな表情を見せます。

 

 この人は、「精神科医」という権威が、「正常」だといってくれると安心し、一方では、その権威に「異常」だといわれるのではないかとびくびくしていることが分かります。こういう人を病気とは呼びませんが、権威に弱い人間であることは確実です。

 

 そして、《こころ医者》としては、権威に弱いところは、なんとかして直してもらいたいところなのです。

 直さないと、自分の考え(それは権威の考えのコピーです)を人に押し付けて、しばしば、他人にストレスを与え、他人を病気に追い込むこともありますから。

 

 《こころ医者》としては、周りのために、こういう人に、もう少し大人になる努力をしてもらいたいのです。しかし、そういおうものなら、「精神科医は、世の中の人間をみな異常にしてしまう」とかれから非難されるでしょう。ですから、すべての人に要求するのは諦め、患者さんの家族や周りにいる人だけに、「正常」よりは成長だ、患者さんと同時に家族も成長して下さいとお願いしているのが現状です。

 

 繰り返します。現在のところ、精神科医も《こころ医者》も、診察室で、患者さんを待っています。そこの一般の人が異常と思った人を連れて来るのです。連れて来るのは、家族、友人、社会福祉の係、警察といったところです。その人たちが、「異常」と判断しているのです。

 

 そして、「これは『異常』だから専門医に見せよう」という気持ちになって、そう思われる人を連れて来るのです。だから、なにかを「異常」と感じることは重要だといえるでしょう。だれでも、「異常」は感じ取れるものであり、感じ取らねばなりません。ところが、「正常」はそうした意味で、感じ取られるものではありません.....。

 

(2006年出版)