防衛機制 

 

 皆さんは、ここまでいろんな記憶をたどり、そのときの感情や思考などに、改めて気がつくという作業を繰り返してきました。

 なぜ、私たちはこんな風に自覚していなかったり、意識していなっかたりする自分の一部があるのでしょう。

 「無意識(潜在意識)」の概念を提唱したフロイトは、「人間には『防衛機制』という力が働くからだ。」と言います。

 

■ 無意識の倉庫

 

 自分にとって、あまりに不快、不安、怖いようなものは、なかなか受け入れられないものです。受け入れられないけど、それがそこにあるという事実が変わらないとき、私たちはどうするでしょう。

 

 例えば、あなたが暗闇の中で幽霊と出くわしたとします。もちろん信じがたいその瞬間は、怖いし、孤独で不安です。あなたは驚いた後どのように、この怖さ、不安を自分で処理しようとしますか?

 

 とにかく逃げる人もいるでしょう。見ていない振りをする人もいるでしょう。あまりの恐ろしさに笑ってしまう人もいるかもしれません。不安のあまり、側にある窓ガラスを壊すかもしれません。震えながら、神仏に手を合わせる行為をとるかもしれません。子どものように泣きじゃくりながら、誰かに助けを求めるかもしれません。これは光と目の錯覚がもたらす単なる現象なのだと、思い込もうとする人もいるでしょう。自分には死んだおばあちゃんがついているから大丈夫なんだと言い聞かせる人もいるでしょう。こんなことで怯えおののいた自分が許せなくて、後で修行僧の訓練に身を投じる人もいるかもしれません。

 

 私たちには、あまりにもこころに負担がかかるようなものを、そのまま意識していたら耐えられないので、自然と無視したり、ごまかしたりして無意識の世界に閉じ込める習性があります。勝手にしまい込むのです。なぜなら、しまい込まないと苦痛だからです。

 

 フロイトは、自分でわかっている心の領域、つまり自覚している意識レベルを「顕在意識」、また、普段は意識していないけど比較的思い出しやすい意識レベルを「前意識」、そして、意識していたくないものをしまい込む意識レベルを「潜在意識」と名づけました。

 

 その無意識の倉庫にあるものは、まぎれもなく自分自身のものでありながら、思い出したくないものです。この倉庫は、そのときは忘れておいた方がよいこと、嫌なこと、叶えられないことなどが詰まっています。それらが、いつも頭から離れない状態だと、私たちは耐えられないし、日常生活がうまくいかなくなるから倉庫にしまってしまうのです。そういう意味では、無意識の倉庫の存在、つまり潜在意識は、必要不可欠なものでもあります。

 

 ただ、この倉庫の存在自体は不可欠でも、そこにしまい込む行為に関しては、注意が必要です。特に、勝手にしまい込まれたものは、勝手に出てしまう危険性があるからです。そして、必要なときに気持ちがそれてしまったり、必要ないときによみがえったりして、逆に私たちを苦しめることがあるのです。

 

 ■ 一時的安全装置


 無意識の倉庫に閉じ込めるきっかけとなるのが「防衛機制」です。単純に怖い体験だけでなく、私たちを苦しめる体験として「葛藤」があります。

 私たちは、本能のままに生きている動物ではなく、社会的動物であるため、様々な規制や現実と折り合いをつけながら生きています。ですから、自分の純粋な欲求(本能、真の感情)と、現実に従って生きようとする欲求(良心・道徳心・正義感)がぶつかったとき、私たちはその矛盾の狭間で葛藤します。

 

例えば、

 

 気に入ったワンピースがあるのに、買えるだけのお金がない、悔しい。

 ゲームがほしいけど、万引すると違反になる、でもほしい。

 会社を休みたいけど、他の人に迷惑をかけてしまう、悪いなぁ。

 ケーキが食べたいけど、体重が増えてしまう、でも美味しそう。

 彼女に会いたいけど、電話がかけられない、暇な男と思われるかも。

 挑戦してみたいことがあるけど、勇気がない、この年齢で失敗したらみっともない。

 努力を認めてほしいけど、営業成績が悪く叱られる、頑張ってるのに何でそこまで。

 愛しているけど、一緒になることができない、辛い。

 苦手な人だけど、一緒に仕事しなくてはいけない、きっと嫌われる。

 パンにバターで食べたいけど、バターが売り切れている、ショック。

 地球資源を大切にしたいけど、車は必要だ、どうしよう。

 

 

 

 私たちの日常は、大なり小なり常に葛藤の連続です。

 そして、その欲求と現実との葛藤の間でバランスを取り続けようとするのは、かなり苦しい状態なのです。

 ですから、私たちは、この苦しさや混乱をなんとか落ち着かせるために、「防衛機制」という安全装置を使うのです。

 

 

 前述の葛藤を、例えばこんな風に処理していきます。

 

 きっとあのワンピースは、すぐに流行遅れになるだろうと思い諦める。

 ゲームは友達に借りることにする。

 自分は後輩なのだから、少々迷惑をかけてもいいと思い会社を休む。

 今日だけケーキを食べて、明日から減量して運動もしようと思う。

 明日も仕事で忙しいから大変だ、と彼女にメールで近況報告を送る。

 40過ぎてから転職している人は、無謀な人たちだと批判し会社に残る。

 もっと成績の悪い後輩に説教をする。

 本当の愛は成就しないものだと信じる。

 相手はきっと自分を嫌っているのだと感じる。

 原料になる酪農家を国が大事にしないからいけないのだと憤慨する。

 せめてエコカーに買い替える。

 

 

 こんな風に調整していくと、苦しくて分裂して壊れそうだったこころが、一時的に守られます。

 

 ある意味、この防衛機制のおかげで、私たちは、自分の衝動的で感情的な欲求のみを押し通すわけでもなく、世の中への適応できるのだとも言えます。しかし、一方で防衛機制は、無意識の倉庫に、荷物を送り込む手段になっているわけです。安全装置とはいえ、所詮一時的なものです。こころの自由を奪うものですし、ずっと装置がかかったままですと、安全は保てなくなります。防衛機制はこころの病気の要因にもなってくるのです。

 

 

■ 防衛機制の種類


 防衛機制には、以下のようなものがあります。

 全ては、不安を緩和しようとして無意識に働くこころの作用です。

 

1.避けようとする働き

隔離 (別物として分ける)

 

 受け入れられないような出来事にたいして、起きたという物事の知覚と、そのときの感情の間に距離を置いて分ける。いわゆる感情の麻痺。

 

否認 (見えているけど、認めない)

 

 受け入れられないような出来事に対して、現実に起きた出来事として知覚してはいるものの、その事実を認めたくないという思考(自我)が同時に働き、分裂状態になる。いわゆる見ない振りをすること。

 

抑圧 (見えないところに押し込む)

 

 自分自身の中で受け入れられない出来事が起きたとき、その出来事だけでなく、その感情、思考、空想、観念を意識レベルから追い出し、無意識に押し込めること。無理矢理忘れようとすること。そのきっかけとなる出来事自体は忘れていても、何かの折りに触れて感情や思考、イメージだけがよみがえる。

 

2.別のものに置き換える

 

置き換え (人にあたる)

 

 自分自身の中で受け入れられない、感情、思考、欲求を実際にそれを受けた対象にではなく、別の対象に向けたり、ぶつけたりすること。

いわゆる「八つ当たり」や「身代わり」。

 「いじめ」もこれにあたると言われている。

 こうすることで、もとの対象から受けた耐えがたい感情(不安、恐怖、罪悪感、欲求不満など)を解消したり、相手からの攻撃を防ごうとする。

 

 

代償 (ものにあたる)

 

 置き換えと同じだが、欲求や衝動が向けられる、いわゆる、八つ当たりや身代わりの対象が、ものになる。

 

 

知性化 (知識に置き換える)

 

 自分自身の中で受け入れられない出来事、感情、思考、欲求を実際に、それを受けた対象に直接表現したり、解放したりするのではなく、取り入れた知識で理屈づけ、知性の働きによってコントロールする。いわゆる、思考による割り切り。

 

 

合理化 (都合のいい理屈に置き換える)

 

 自分自身の中で受け入れられない出来事、感情、思考、欲求を、自分自身でなんとか理由をつけて、正当化したり、他に責任転嫁して合理化しようとする。

 合理化が繰り返される場合には、「抑圧」された「自己嫌悪」「自己不信」があり、それが受け入れられない葛藤の中で、現実を無理矢理変えようとする働きがある。言い訳、弁解などとも言う。

 

 

昇華 (世間的に評価される形に置き換える)

 

 自分の中でも抑圧しておきたかったり、現実社会でも認められないであろう感情、思考、欲求などの衝動を、直接発散することをせず、世の中に受け入れられるような形、高い価値観で実現しようとする。理想的な形でもあるが、抑圧した根元の欲求や衝動を全く別の形で昇華するには、乗り越えなければいけない苦痛は計り知れないものがあり、簡単に実現するものではなく、逆に挫折したときの反動は大きいと言われている。

 結局、一部の成功した人たちを除いて、多くは反動でその他の防衛機制に移行していく可能性が多い。

 

 

3.逆転させる 

 

反動形成 (真逆の表現をする)

 

 無意識の世界に抑圧されている感情、思考、欲求とは、全く反対の感情、思考、欲求を意識レベルで表現する。

 本来のものとは、逆の傾向を表すのだから、そこから表現される思考や言動は、不自然なものであったり、強迫的になりがち。

 

 

打消し (真逆の結果を持ってくる)

 

 自分にとって、不快な出来事や感情が起きても、取ってつけたように最後だけそれまでのものを帳消しにするような結論を持ってくる。

 まるで「終わりよければ全てよし」であるかのように、結果を持ってなかったものにする。

 

投影 (発生源が逆転する)

 

 自分自身が抑圧している感情、思考、欲求を、他の人が持っているかのように感じること。

 自分の中にある無意識の傷や不安は、特に相手を通して映し出される。

 自分が認めたくない自分の影の部分が、相手に反射して自分に投げかけられるため、結果的に自分の影に自分で怯えたり、嫌悪感を抱いているのに、まるで相手が自分を脅したり、嫌ったりしているように錯覚する。

 

4.取り入れる

 

取り入れ (人の一部を取り入れる)

 

 自分にとって重要な人の一部を真似して、その人と同じような感情、思考を持ち、振舞ったりして、その人を自分の中に、完全に取り込もうとすること。

 自分の本当の感情、思考、欲求を認めたり、表現したりすると、現実的に抵抗や攻撃がある場合、その人の一部と一緒になって、身を守ろうとする。

 集団いじめや、親の願望や価値観がそのまま自分のものと同じであると思い込むのも、取り入れである。

 

同一視 (人の全てを取り入れる)

 

 成長過程において、自分にとって重要な大人のようになりたいとマネをすることなどは、成長を促す推進力とも捉えられる。

 しかし、相手と自分の境界線がない状態なので、その状況が続くと、まるで相手と自分が同じものだと錯覚し、トラの衣を借りたネコとなり、勘違いが続くことになる。

 

 

退行 (未熟な自分を取り入れる)

 

 現在の状況より、もっと未発達な段階に逆戻りすること。

 子どもの発達の視点から見ると「子ども返り」の状態で、欲求が満たされない不安を解消し、満足を得ようとする行動である。

 また、一時的な退行、例えばゲームなどで子どものようにはしゃいだり、恋人に甘えてみたりする行動は、自発的な創造性が高まったり、自我の律性を育てるものとして健康的行為とされている。

 

■ 防衛機制をはずすこと

 

 私たちは、ここにある全ての防衛機制を使いながら、周囲の人や社会とうまく折り合いをつけて生きています。また、そうすることで自分のプライドや体裁を保ったりもしています。ですから柔軟性のある防衛機制なら、社会生活を送る上では、健全な心理作用です。

 しかし、防衛機制とは「自分の姿を直視しないようにするこころの働き」です。多くは無意識下で働くので、コントロールが困難だったり、それが働いているという機能の有無の判断もできないことがあります。

 

 また、疲れたとき、精神的に余裕がないときに、真の自分と向き合うことができないなど、防衛機制が意識、無意識に作用します。

 

 自分の状態や、周囲との兼ね合いの中で、防衛機制による一時的なごまかしが、こころの不安や緊張を解消するならば、それは生きていく上で必要なものとなりますが、その使用があまりに頻繁であったり、ずっと使い続けていたりすると、不適応な使用となります。

 

 真の自分の姿を、潜在意識という無意識の倉庫に閉じ込め、何もないもののように扱えば、結果的には、病的な症状や性格的な偏り、あるいは特殊な人格構造となって、日常生活に様々な支障を起こすようになるのです。

 

 ですから、学ばれた皆さんは、これから意識して、柔軟に防衛機制と付き合っていけばよいのです。臨機応変に社会を生き抜いていくには、必要な道具なのですから、過ぎたるは及ばざるがごとしということです。ただ、防衛機制が必要ない「とき」や「場所」が訪れたら、その安全装置を外してみてください。

 

 そして、自分の本当の姿と向き合ってみてください。そんな自分に涙を流してもいいし、抱きしめてあげてもいいのです。本当の自分の姿をごまかしたり、無視したりするのではなく、ここに居てもいいのだと受け入れてあげてください。

 その作業に誰かの援助が必要だと思うなら、心許せる人、専門家などに堂々と助けを求めてください。そして、ゆっくりと置き去りになった自分を癒して、受け入れていきましょう。